こんにちは、ささぶねです!
ここは私の個人ブログなので、個人的なことを書きたいと思います。
今回は私が「文章を書くのが苦手になった理由」について!
私は文章を書くのが嫌いです。
モノを書くことにとても苦手意識があります。
それは
「なかなか考えがまとまらない」とか
「書くのにめっちゃ時間が掛かるから」とか
「自分のバカさ加減がバレてしまう・・・恥ずかしいぃぃ・・・」
などの理由があるのですが・・
今回は「私が文章を書くのが苦手になった最初のきっかけ」についてお話しますね。
目次
私が文章を書くのが苦手になった最初のきっかけは「夏休みの読書感想文」
毎年、夏になると思い出すことがあります。
それは小学生時代の夏休みの宿題「読書感想文」のこと。
「いくつかの課題図書の中から好きな本を選んで読み、その感想文を書く」という夏休みの課題です。
私が小学校2年生だった時の夏休み。
夏休みの宿題のひとつとして「読書感想文」がありました。
私はひとつの図書を読み、その感想を原稿用紙にしたためて母に見せました。
すると母は私の読書感想文を添削したのです。
「はい。これを清書して学校に持っていきなさい。」
母が添削した私の読書感想文は、ほとんどの内容が大きく書き変わっていました。
私が書いた文章で残っているのは全体の1割~2割くらい・・・
その感想文の内容は、もはやほとんど原型をとどめておりませんでした。
(これはもう私ではなくて母が書いた読書感想文だよね・・・)
私は心の中にモヤモヤしたものを感じながら、母が添削した読書感想文を清書しました。
そして夏休み明けに読書感想文と他の課題をまとめて学校へ提出したのです。
「自分が書いたものではない作文」を全校生徒に向けて発表することに・・・
私が提出した夏休みの読書感想文。
その読書感想文がなんとその小学校内で表彰されてしまったのです・・・!
そして学校のお昼休みの時間、
小学校の放送室から読書感想文を自分で音読する模様を
校内TV放送するということに・・・
ほとんど母が書いた読書感想文を、自分の作文として全校生徒に向けて発表しなくてはいけない・・・
他人が書いたものを自分の作品としてみんなに発表しなければいけない・・・
紛れもなくゴーストライター事件です。
先生も友達もだれも知らないことですが、自分だけが唯一真実を知っている・・・
小学校2年生の当時の私は、
「不正をして表彰されてしまった」
「これは自分の実力ではない」
「これは自分の作品ではない」
そんな自己批判が幼いながらも自分の胸の内に渦巻いていました。
読書感想文を学校に提出する時も
担任の先生に褒められ校内表彰を受けた時も
放送室で作品発表をして、それが校内TV放送された時も
すごくみじめな気持ちになったことを覚えています。
読書感想文の校内TV放送・・・
ここまでいってしまったら
今さら自分が書いた作文じゃないなんて担任の先生には言えない・・・
「読書感想文が表彰なんてされなければよかったんだ!」
「読書感想文を書いたら母に見せずに黙って学校に提出してしまえば良かったんだ!」
当時の私はめちゃくちゃ後悔して、すごくすごく罪悪感を感じていました。
その時を境に、私は作文がまったく書けなくなりました。
完全に作文アレルギーになってしまったんです。
大人が子どもの作品に手を加えるということ
私の母の職業は小学校の先生でした。得意科目は国語です。
本職の人間は
「どのように書けばその作文が学校や先生から評価されるか?」
というその答えを知っています。
つまり私の母が子どもの作文を添削したら、学校で評価される作文を書けてしまうわけです。
私の母は小学生の作文を評価している立場にあったのですから、母が上手い作文をつくれてしまうのは当たり前です。
(母もそれは承知の上で、子どもが書いた風にうまい具合に加減をして、私の読書感想文を書き直していたんだと思いますが・・・)
母のゴーストライター事件以降、私は作文が書けなくなりました。
楽しかったはずの夏休みが、毎年とても憂鬱な時になりました。
夏休みの宿題には必ず毎年、読書感想文の提出が課されるからです。
本を読むのは好きでした。しっかり完読はできました。
でも感想が書けない。まったく筆が進まない。
タイトルと自分のクラス名と名前だけを書いた真っ白な原稿用紙を前にして、
毎日ウンウンとうなりながら自分の読書感想を紙に書きつけようにも
なんにもアイディアが浮かばない。言葉が出てこない。
ただいたずらに時間が過ぎるだけの無意味な時間・・・
書かなきゃいけない・・・
・・・・でも、どうしても書けない!!
そして私は作文を書くことから逃げ続けることにした
結局、夏休み明けに担任の先生から読書感想文の提出を求められても
「まだ終わってません!」と言って感想文だけを提出しないことに決めました。
「じゃあ書き終わったら直ぐに提出してね。」と先生に言われても
「はい!」っと答えてその場をやり過ごし、
先生がもう何も言ってこなくなるまで日が経つのを待つことにしたのです。
夏休みの宿題の一部ボイコット。
この「やり過ごす戦法」は中学3年生まで続けました。
作文だけはゴメンだ!私は文章を書くのが苦手なんだ!
そう自分で信じ込んでいました。
自分の「ありのままの表現」はダメなんだという恐れ
自分の想いや言葉を文章にすること。
自分の「ありのままの表現」をすることはダメなんだ。価値がないんだ。
そう感じることが自分にとっては真実だと思えてしまうくらい
文章を書くということが怖くなってしまったんです。
自分の思いや言葉で文章を書くことが怖くなってしまってから、
読書感想文に限らず、あらゆる作文が書けなくなってしまいました。
私が小学校5年生の時、校長先生が定年退職されることがあり
「校長先生への感謝の手紙」を書く機会がありました。
校長先生とお話した思い出やエピソード、感謝の気持ちは持っているのに
書けない。やっぱり、書けない。
「文章で自分の気持を伝える」ことが出来なくなっていました。
自分がお世話になった人への「感謝の手紙」が書けなかったことは、当時の私にとってはすごく悲しいことでした。
苦手意識を克服するためには書いて書いて書きまくるしか無い
30歳を過ぎた今でも、私は文章を書くことが苦手です。
文章の書き方について参考になる本はたくさん出版されています。
文章構成や読みやすさなどのテクニックなどについては
参考書籍や書き方講座がその腕前を上げるのに役立ってくれるでしょう。
でも「文章を書くのが苦手」だと自分で思い込んでしまっている
その「苦手意識」そのものは
結局のところ、書いて書いて書きまくることでしか払拭されないんだと思います。
私は書くことは苦手です。
でも、私は今ブログを書いています。
小学生時代に体験した校内TV放送で全校生徒に作文を披露することを超えて、
このブログは全世界に向けて公開されていますからね・・・
冷静に考えてみたらブログって凄いですよね・・・
正直いってめちゃくちゃ恥ずかしい
自分の書いたものは価値がない・・・
そんな考えや気持ちが私の中に湧いてきたりもしています。
でも、いつか誰かにとっての価値あるものになってくれたら・・・
そう思って今日もこのブログを書いています。
おわりに
私のハンドルネームは「ささぶね」というのですが
これは私が通っていた小学校の教育地区で編纂・発行されていた小学生の文集のタイトルから取りました。
私の弟が産まれた時のエピソードを書いた作文が、文集「ささぶね」に掲載されたことが一度だけあったんです。
これは誰にも添削されていない完全オリジナルの文章でした。
文集「ささぶね」に載った作文は、私の唯一の文章にまつわるポジティブな記憶です。
ハンドルネームは私が文章を書くことから逃げないために
自分の出発点として「ささぶね」という名前にしました。
毎年、心に冷や汗を書きながら「やり過ごす戦法」を駆使していた頃の私が
将来、大人になってブログなんてものを書いてることを知ったら
死ぬほどびっくりするんだろうな。
相変わらず書いてるものは下手くそだけど!
今回はこれにて!
ささぶねでした!
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