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誰の心のなかにもジョーカーはいる。映画「ジョーカー」の感想【ネタバレあり】

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こんにちは、ささぶねです。

 

2019年10月4日、日米同時公開された映画「JORKER(ジョーカー)」を劇場で観てきました!

これはDCコミックス「バットマン」シリーズの有名ヴィラン(悪役)として知られる「ジョーカー」がどのようにして誕生したのかを描いた映画オリジナルストーリーです。

 

目次

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映画「ジョーカー」とは?どんなストーリーなの?

 

主人公はピエロメイクの大道芸人の仕事で糧を得ながら、母と二人で暮らしている一人の青年、アーサー。

でも彼には偉大なコメディアンになるという長年の夢がありました。

 

アーサーには持病があり、母の介護もあって、生活は苦しく満足に食べることも出来ていません。

ですが彼は「SMILE AND PUT ON A HAPPY FACE(どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい)」という母から受けた言葉を胸に、コメディアンになって大好きなTVショーに出演することを夢見て、日々もがき続けています。

 

そんな純粋で心優しい青年のアーサーが、なぜ悪のカリスマ「ジョーカー」になってしまったのか?

この映画はひとりの孤独な青年アーサーが“巨悪”の「ジョーカー」へと変貌していく様子を追っていきます。

 

※ご注意 ここから先↓は映画のネタバレを含みます!

 まだ映画「ジョーカー」を観てない方は是非、作品をご覧になってからお読み下さい!

 

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映画「ジョーカー」を観た感想!

 

すごく丁寧に作られた作品です。

 

音楽もとても素晴らしい!

劇伴歌がアーサーの心情・場面の変化に、とても効果的に使われていると思いました。

Jimmy Duranteが歌う「Smile」なんて使うの、エグいと思う。

映画の挿入歌までもがアーサー想いや人生を皮肉るのか?・・・と。

 

皮肉さで言えば映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」でいう挿入歌「今日の日はさようなら」の使われ方に近いものを感じました。

 

青年アーサーの人生と劇伴歌の歌詞の対比がほんとうに素晴らしくて、音楽がこの映画を素晴らしいものにしていると思います。

この映画は音楽が無ければ成り立たなかったですね!

 

映画の中ではアーサーが踊る場面がいくつか出てきますが、それらのダンスシーンは「アーサーの中には常に音楽が流れている」ということを表現したものなんだとか。

 

ジョーカーの中にはいつも音楽が流れてるとホアキンに話してた。

頭の中で音楽が聞こえてるんだ。

映画の中の音楽は頭の中の音楽だと考えていた。

彼がジョーカーに変わるのと同時に音楽も変わっていく。

音楽のアイディアとともにダンスについても話し合った。

ダンスは彼の中から出てくる表現となる。

映画「ジョーカー」公式サイトより引用

 

アーサーの中に流れている音楽が自然な形で表現されたものが、あのアーサーのダンスだったんですね!!

 

 

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アーサーは自分の夢を一度たりとも諦めていなかったと思う

 

鑑賞後、映画レビューを読んだところ「アーサーは彼の境遇を受け入れていた」という意見をいう人がいました。

ですが私は、それは違うと思います。

 

アーサーは・・・アーサーだけは、自分の夢をずっと諦めていなかった。

だから彼は、自分自身の可能性や夢を笑い者にするものを許せなかったんだと思います。

 

そうでなければ、あんなに怒れない。

 

自分の夢や可能性を笑われて平然としてなんかいられない。

 

映画の終わりまで彼は自分の夢を一度たりとも諦めず、自分の誇りを手放さなかったから、自分を笑い者にするやつらに対して反撃をしたのだと思います。

 

アーサー役を努めたホアキン・フェニックスはアーサーについてこう語っていました。

「アーサーの明るい部分に興味を持ち、深く探ってみたいと思った。彼には、苦悩もありますが、喜びもあり、幸せを感じ、人との繋がりや、温かさ、愛を求めている人物。」

映画「ジョーカー」公式サイトより引用

 

また、トッド・フィリップス監督はこう語っています。

もともとはカオスをもたらすのが彼の目的だったわけじゃない。

彼のゴールはあくまで「人々を笑わせたい」、「世界に喜びをもたらしたい」ということだったんだ。

でもそれが様々な出来事が重なって、まったく異なる結末になってしまうんだ。

映画「ジョーカー」公式サイトより引用

 

映画を観れば、悪のカリスマ「ジョーカー」になった青年アーサーは無差別に人を攻撃したいなんて決して思っていなかったということが分かると思います。

事実、アーサーは彼を笑ったりせず優しくしてくれた元同僚に対しては怒りをぶつけることはありませんでしたから・・・。

 

 

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誰の心のなかにもジョーカーはいる

 

私自身の中ににも暴力と狂気が潜んでいて、そいつが時折、顔を覗かせる時があります。

 

自分を大切に扱わない人、自分が大切にしている物事を侮辱された時、私の中の暴力性が私の内側で暴れだすのを感じることがあります。

 

そんな時は「一発、殴ってやろうか?」と思うことも、やっぱりあります。

 

映画「ジョーカー」を鑑賞した後、もし自分がアーサーと同じ境遇に生まれたらどうなっていただろうか?

そんなことを考えました。

 

恐らく私もアーサーと同じように怒りを貯め、それをどこかのタイミングで暴力という形に昇華してしまうのではなかろうか?

そんなことを考えました。

 

私も実際の行動には移してはいないけれど、一生に一度だけ本気で人を殺してやりたいと思ったことがあります。

私の大切な友人が性犯罪の被害を受けたと知った時、それを新聞で知った時です。

 

その事実を知った時、犯人に死ぬよりも苦しい痛みと後悔を与えてやるにはどうしたらいいのか?と、その犯人を本気で殺してやりたいと頭の中で計画を考えました。

被害を受けた本人から私に直接知らされたわけではなく、新聞、そして周りの知人から伝わり聞いてその事件を知りました。

 

そして結局私には何も力になることは出来ないんだと、自分の無力さと不甲斐なさを呪い、心底腹が立ちました。

 

誰であっても、自分の大切にしているもの、人、尊厳を傷つけられたら怒ると思います。

暴力的な衝動に駆られてしまうことがあると思います。

誰の心のなかにもジョーカーはいるんだと思います。

 

映画「ジョーカー」を観終わった後、そんな昔の話を思い出しながら家路につきました。

 

 

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映画「ジョーカー」は、それを観た人のための映画

 

人の心をかき乱し色んな感情を引き起こさせる映画は良い映画だ、と私は思います。

 

アーサー役のホアキン・フェニックスは「映画「ジョーカー」は観客が積極的に参加する必要のある作品だ」と述べていました。

 

ホアキン・フェニックスは

観た人がそれぞれ違う反応をしているんだ。

同情する人もいるし、彼の動機を理解する人もいる。

逆に彼はあの行動で人を拒んでいると感じる人もいる。

僕はその両方の感情が正しいと思うんだ。

この映画に対する見方は無数にある。

観客は自分なりの解釈をすることを委ねられている。

典型的な映画体験とは違い、映画に入り込むことが求められる。

僕は感情を押し付けたくないし見方を決めたくもない。

とても主観的な体験で、それこそこの映画の価値だと思う。

映画「ジョーカー」公式サイトより引用

とコメントしていました。

 

そして映画の監督・脚本を務めたトッド・フィリップスも「映画「ジョーカー」をどう捉えるのかは観客に委ねる」と話していました。

 

私はホアキン・フェニックスが演じたアーサー/ジョーカーは人間味を感じて、とても愛おしく思えました。

 

劇中でアーサーは「自分が存在しているのか分からない」と思うこともあると話していました。

ですがジョーカーとしてダンスするアーサーは、その時初めて自分がこの世に存在していることの実感を得ることができたんじゃないかと思いました。

 

 

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まとめ

 

後に「ジョーカー」へと変貌していく青年アーサー。

その彼の心情を丁寧に追っていった作品に私はとても好感を覚えました。

映画「ジョーカー」のような作品があるから、私は(現在のところ)犯罪に手を染めずに生きられていると思うんだよな。(そういう人私以外にもいると思います。)

バットマンの映画「ダークナイト」で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーが大好きだったけど、本作「ジョーカー」でアーサー役を演じたホアキン・フェニックスのジョーカーも最高に素晴らしかったです!

 

アーサー/ジョーカーの背中が何度も画面に映し出されるのが、また切なさを帯びていて印象的でした。

 

Frank Sinatra が歌う「That’s Life」を口ずさむアーサーに、最後ジーンときてしまう・・・。

 

あんな終わり方、反則だよーーー!!

 

もう一回観に行きたい!

 

今回はこれにて!

 

ささぶねでした!

 

 

ささぶねの詳しいプロフィールはこちら!⇒ プロフィールを見る

 

 

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