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人を非難したり自分の正義を振りかざすのは簡単なこと。それは誰でも出来ること。

本当の自分で生きる
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こんにちは、ささぶねです。

 

今回のテーマは「人を非難したり自分の正義を振りかざすのは簡単なこと」というお話です。

 

 

目次

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誰でも加害者になりうるし被害者にもなりうる

 

人はだれでも過ちをおかすものです。

「ルールを破ったことは一度もない」

そう胸を張って言い切れる人って本当にいるのでしょうか?

 

人を傷つけてしまったり、逆に傷つけられたりしたことはありませんか?

 

自分が加害者の立場になったり被害者の立場を経験することは

人間、生きていれば誰にでも起こりうることだと思います。

 

 

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「人を叩きたい欲求」が自分の中にないだろうか?

 

「誰かを痛めつけたい」「こらしめたい」「叩きたい」

そんな欲求はありませんか?

 

私はあります。

「人を傷つけたい」という加害欲求が

自分の心のなかに巣食っているのを私は知っています。

 

「自分は間違ったことをしていない」「相手が間違っているんだ」

そうやって世界が自分の目に写るとき、そう思えるとき、

私はここぞとばかりに

相手の揚げ足を取ったり、強く非難したり、

自分の正しさを証明しようとしてしまいます。

 

でも、なんでそんなことをしてしまうんでしょうね?

 

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「人に勝ちたい」「自分が重要だ」「自分が正しい」という潜在的な欲求がある

 

人間には

「自分が人に勝ちたい」

「自分は重要な存在だと人に認めさせたい」

「自分が正しいと証明したい」

という強い欲求があります。

 

そしてその欲求を表すことが出来る機会を日々うかがっています。

 

誰かが何かのミスをしたり、至らない姿を見せた時、

その人をスケープゴート(いけにえ)にして

みずからの正しさを人に知らしめようとします。

 

今、私がこの文章を書いていることも例外ではないのです。

(このブログの記事を書くことで、自分の考えの正しさを証明しようとしている)

 

「自分が勝ちたい」

「自分は重要な存在だ」

「自分が正しい」

これらを思うことが悪いことだというのではありません。

 

これらの欲求は、生きている人間なら100%逃れられないものなので、

「私はそんなこと思わないよ!」という人は

解脱(げだつ)している人か、涅槃(ねはん)に入っている人か、天国にいる人です。

つまり肉体を持ってこの世に生きていない人だけです。

 

「自分が正しい」と思いたい気持ちというのは

それだけ強く、そして避けることが出来ない欲求なんですね。

 

だから、人を非難したり自分の正義を振りかざすことは

ほんとうに誰でもできる簡単なことなんです。小さな子どもでもできます。

 

人を非難していれば、相対的に自分自身はマシな存在に思えるし、

高みの見物で正論を言っていれば、決して自分自身は傷つくことはないからです。

 

 

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まとめ

 

自分が考えたことや思うことは自由に表現していいと思います。

 

好きなことは好き。

嫌いなことは嫌い。

良いことは良い。

間違っているものは間違っている。

 

でも・・・

その考えや想いがどうして湧き上がったのか?

その考えや意見を持つことで、自分自身が何を得ようとしているのか?

 

人の過ちをみて非難したくなった時は、ちょっと一旦落ち着いて、

自分自身の内面にあるものを見てみてほしいです。

 

「自分が与えたものや出したものが自分に返ってくる」

言い古されたことかもしれませんが、これは本当だと思います。

 

他者は自分の心や内面を写し出す鏡です。

自分の言葉や言動は、自分の中に存在しないと出てくることはありません。

 

自戒の念を込めて。

 

 

今回はこれにて!

 

ささぶねでした!

 

 

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